オーバーホールに出していた愛用の腕時計が帰ってきました。
所有物に愛着を持ちすぎたり拘りすぎると精神衛生上良くないことは理解しているのですが、自分の手から離れるとやっぱり愛着があったようで過去に撮った写真を見返したり色んな方の愛用の時計を拝見したりして帰りを待ちわびていました。
預けていた期間はおよそ2ヶ月程度でしたが、ミニマリストとして「モノ」との最適な付き合い方を考えた期間でした。
今回はミニマリスト歴約6年の筆者が考える「モノとの付き合い方」について書いていきます。
結論から先に書くと「モノに拘りすぎても拘らなさすぎても楽しくないので、長く使用する愛用品と短いスパンで買い換える消耗品を自分の中で細分化しよう」です。
モノに拘るのは幸せなのか?ミニマリストがモノとの付き合い方を考察してみた
1.気軽さと愛着
人間は生きていく以上「モノ」を持たない事はあり得ません。
ミニマリストであろうとなかろうと自給自足をしていようとも「モノ」は必要になります。
元々マキシマリストでファッションが大好きだった筆者は「モノ」が多かった事に加えて「愛用品」が多かったです。
他人から見ればボロボロのヴィンテージのジーンズだったり、複雑な機構を備える腕時計だったり、街中でしか履かないのにハイスペックなブーツなど、モノと愛着に塗れていました。
ブーツの例で言うとワークブーツやマウンテンブーツ、カントリーブーツなど汚れる事が想定されている靴でさえ汚れないように細心の注意を払って使用し手入れしていました。
見栄えは良いのかもしれませんがなぜか満足せず息苦しかった事を覚えています。
ミニマリストになった今と比較して気づいたのは「モノに愛着を持ちすぎない方が道具として使いこなせる」ということでした。
道具として使うことを念頭に置いて揃えていくとそれまでのセレクトとは違った視点が見えてきます。
例えばスニーカーであれば数年に一回発売される限定のスニーカーよりも、合わせやすくどのお店でも手に入る定番のスニーカーにした方が道具としては優秀だといえます。単純に物としてのスペックや価値よりも入手性や汎用性といった点に目がいくようになります。
2.実用的だけでは…?
実用性に目を向けるようになるとモノ選びの価値観が180°変わり結果的にそれがミニマリストになったきっかけだと思います。
ただ、その後も実用的なモノや機能的なモノだけにしてみようと思い立った事がありましたが、結果的には上手くいきませんでした。
筆者の場合は元々オタク気質なところがあり、所有するモノに対して蘊蓄やルーツを考えるところがあったからです。
極論な話、物を入れる鞄がなければビニール袋でもいいでしょうし、仕事で使うベルトやネクタイ、時計も100均で買う事はできます。
流石にそこまではしませんでしたが、身の回りの物全てを愛着のない実用品にしてみたところ、それはそれで高揚感が全くなく、生活のクオリティが下がった気がしました。
愛着=好きと言い換える事ができるので、トキメキのような感情が消え失せてしまい耐えられませんでした。
どうやら愛着を切り捨てて効率化に踏み切るのは不向きだったようです。
3.ボーダーラインを決める
では、どうすれば一番良いのかという話ですが個人的には「愛用品と消耗品とのボーダーラインを明確に決める」事が必要だと思っています。
物への執着が全くない方もいらっしゃるかもしれませんが「どうしてもこれは譲れない!」という拘りはあるのが自然だと思うので厳選したその拘りに注力すると良いのかなと考えます。
筆者の例ですと、白いシャツを着るのが大好きで仕事においてはユニフォームのように着ているところがあります。
ただ、仕事着であり肌に直接触れる以上、汚れることも考えられますし使用頻度から考えても洗濯の頻度も高くなります。
そう考えた時に仕事着のシャツは「消耗品」とカテゴリー分けしてそこそこの品質もモノを選べばストレスが減ります。
逆に高級なシャツを仕事で来て汚したりしてしまったらストレスを感じるでしょう。
「白シャツを着る」と言う拘りは残して道具として割り切るモノを使う事でストレスを感じる事なく生活に溶け込んでいます。
逆に靴やベルト等の革製品は長く使用する事を前提に作られているので実用的でありながらも好みのモノを選ぶことで経年変化を感じられたり手入れの楽しみができます。
こちらの場合は愛着の沸く「愛用品」という括りで選ぶと生活が充実すると思います。
「愛用品」と「消耗品」のボーダーラインを決めるとストレスフリー且つ充実した生活をバランス良く送る事ができると考えます。
基準は個人の財力や考え方や優先順位によって変わりますが、筆者の場合は金属製品や革製品は愛用品、衣類や電子機器は消耗品という分け方で考えています。(iPhoneやiPadなどは消耗品と考えるには高額な気はしますがガンガン使用して短いサイクルで買い換えるという背景からそう分類しています)
4.今回の屍ポイント
今回はモノに拘るのは幸せなのか?という目線で書いてきました。
まとめると
- 拘りすぎても拘らなさすぎても楽しくない
- 道具や消耗品として使用するなら愛着は障害になる
- 愛着がないモノだけでは物足りなくなる
- 「愛用品」と「消耗品」のボーダーラインを明確にするとバランスが良くなる
となります。
ボーダーラインの引き方は人それぞれですが、完璧主義の方ほど拘りが強すぎてバランスが悪くなってしまうように思います。
なぜか筆者は服に拘るならインナーまで拘らなければ意味がないと思って1枚2万円くらいの無地のインナーを無理して購入していた事がありましたが、個人的にインナーは汗を吸うための消耗品なので満足感は皆無でした。
あえて拘りをなくす事で厳しい目線にならずおおらかな気持ちでモノに接する事ができるのも事実です。(ふと気づくと全く興味がないボールペンを10年近く使っているような感覚でしょうか)
モノに拘ることに疲れてしまったり厳選した生活を送りたいとお考えの方の参考になれば嬉しいです。
誰かの何かのお役に立てれば幸いです。